2013年 07月 09日
ローマでアモーレ |
ローマでアモーレ
(To Rome with Love)
アメリカ・イタリア・スペイン合作、監督・脚本:ウディ・アレン
主演:ウディ・アレン、アレック・ボールドウイン、ロベルト・ベニーニ、ぺネロぺ・クルス
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正に、映画の名人、ウディ・アレンの“人生万歳、アモーレ”狂騒曲風の快作である。
相変わらず、人間をシニカルに眺めながら、チャーミングなヨーロッパの街ローマで繰り広げる4つの色々な人生を、ロマンティックに、又ドラマティックに飾らずにユーモラスに描いている。即ちそれは、“名声”に惑わされる愚かにして,可愛い人間の性であったり、文明都市ローマの持つ不思議な気高さとロマンのあるアトモスフェアーの中で、いつの間にか、恋に盲目に走ったり、予想もつかない運命に翻弄されて行く人間の,生身のキャラクターを独特な人生観を投影しながら、「それが人生よ」と云うメッセージを送っている。
アレン監督はニューヨークを中心に長年映画製作をつづけていたが、この10年、拠点をヨーロッパに移して、05年にロンドンで「マッチ・ポイント」09年の「それでも恋するバルセロナ」12年の「ミッドナイト・イン・パリ」に続き今回はローマと続いているが、4作品を見て感じる事はいずれも文化の色濃い多彩な都市であるが、歴史の厚みに文化のエピソードを絡ませて、常套的な手法を避け、夫々の都市の持つ文化的個性の部分を掘り下げていて、本作も見慣れたローマの名所ながら新鮮な印象的を残していて、さすが感性は冴えわたっている。
この映画の見どころはウディ・アレンの感性なのである。
即ち、ローマを始めとしてロンドン、バルセロナ、パリといずれも世界中で最も魅力的な街であるが、大方の大都会の住人が、現代の喧騒なる日常の中で卓越した文明の深層に無感動に通り過ぎている現実を気付かせてくれている。
アレンはニューヨーカーの一人として、文明の香りに憧れを持ち続けているがゆえに、これらの街や人々に見る光と影や虚実や矛盾を選り分けて、虚(マイナス)の部分にはシニカルな厳しい視線を投げかけるが、一方埋もれた古代より持つ文明の輝きや余光の中に、夫々の人生の運命の展開を陽気に委ねている。
物語はローマのハンサムな弁護士と婚約した娘の下に、アメリカから飛んできた元オペラ演出家ジェリーを演じる抱腹絶倒のウッディ・アレン。恋人の親友として紹介された教養の深い女優に虜になってしまう建築家の卵(アイゼンバーグ)。田舎から出てきた純朴な新婚カップルの宿泊先に何故か現われたぺネロぺ・クルスがセクシーなコールガールとなって純朴な新婚男を惑わし交錯した不倫騒動となる。ある日突然、大勢のパララッチに囲まれ、大スターに祭り上げられた、平凡な中年男(ベニーニ)の心理をイタリア風艶笑喜劇的スタイルでいつもの辛口シニカルは少し押さえ、コメディタッチで自らその映像表現を楽しんでいる。
さすがにアレンでも、ローマで意識しないではいられないものがあるようである。
それは、ウイリアム・ワイラーの「ローマの休日」とフェデリコ・フェリーニの「甘い生活」など幾多の名作の舞台になったローマの魅力をスケッチしようとオール・ロケーションを実施し、コロッセオ、トレヴィの泉、ヴェネツイ広場、スペイン広場、ボルゲーゼ公園、ヴィラ・デ・エステなどエピソードの背景に使って、観る者の目を喜ばせている。一方、登場人物に、会話の中で、“ローマは壮大な文明が栄えたのに、今は遺跡しかない、この世に永遠なものは何もない“と虚無感を言わせていて、いつも何処かに
冷めた目線を漂わせていて心憎い。
(☆☆☆・☆)
(平成25年7月7日)
(To Rome with Love)
アメリカ・イタリア・スペイン合作、監督・脚本:ウディ・アレン
主演:ウディ・アレン、アレック・ボールドウイン、ロベルト・ベニーニ、ぺネロぺ・クルス
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正に、映画の名人、ウディ・アレンの“人生万歳、アモーレ”狂騒曲風の快作である。
相変わらず、人間をシニカルに眺めながら、チャーミングなヨーロッパの街ローマで繰り広げる4つの色々な人生を、ロマンティックに、又ドラマティックに飾らずにユーモラスに描いている。即ちそれは、“名声”に惑わされる愚かにして,可愛い人間の性であったり、文明都市ローマの持つ不思議な気高さとロマンのあるアトモスフェアーの中で、いつの間にか、恋に盲目に走ったり、予想もつかない運命に翻弄されて行く人間の,生身のキャラクターを独特な人生観を投影しながら、「それが人生よ」と云うメッセージを送っている。
アレン監督はニューヨークを中心に長年映画製作をつづけていたが、この10年、拠点をヨーロッパに移して、05年にロンドンで「マッチ・ポイント」09年の「それでも恋するバルセロナ」12年の「ミッドナイト・イン・パリ」に続き今回はローマと続いているが、4作品を見て感じる事はいずれも文化の色濃い多彩な都市であるが、歴史の厚みに文化のエピソードを絡ませて、常套的な手法を避け、夫々の都市の持つ文化的個性の部分を掘り下げていて、本作も見慣れたローマの名所ながら新鮮な印象的を残していて、さすが感性は冴えわたっている。
この映画の見どころはウディ・アレンの感性なのである。
即ち、ローマを始めとしてロンドン、バルセロナ、パリといずれも世界中で最も魅力的な街であるが、大方の大都会の住人が、現代の喧騒なる日常の中で卓越した文明の深層に無感動に通り過ぎている現実を気付かせてくれている。
アレンはニューヨーカーの一人として、文明の香りに憧れを持ち続けているがゆえに、これらの街や人々に見る光と影や虚実や矛盾を選り分けて、虚(マイナス)の部分にはシニカルな厳しい視線を投げかけるが、一方埋もれた古代より持つ文明の輝きや余光の中に、夫々の人生の運命の展開を陽気に委ねている。
物語はローマのハンサムな弁護士と婚約した娘の下に、アメリカから飛んできた元オペラ演出家ジェリーを演じる抱腹絶倒のウッディ・アレン。恋人の親友として紹介された教養の深い女優に虜になってしまう建築家の卵(アイゼンバーグ)。田舎から出てきた純朴な新婚カップルの宿泊先に何故か現われたぺネロぺ・クルスがセクシーなコールガールとなって純朴な新婚男を惑わし交錯した不倫騒動となる。ある日突然、大勢のパララッチに囲まれ、大スターに祭り上げられた、平凡な中年男(ベニーニ)の心理をイタリア風艶笑喜劇的スタイルでいつもの辛口シニカルは少し押さえ、コメディタッチで自らその映像表現を楽しんでいる。
さすがにアレンでも、ローマで意識しないではいられないものがあるようである。
それは、ウイリアム・ワイラーの「ローマの休日」とフェデリコ・フェリーニの「甘い生活」など幾多の名作の舞台になったローマの魅力をスケッチしようとオール・ロケーションを実施し、コロッセオ、トレヴィの泉、ヴェネツイ広場、スペイン広場、ボルゲーゼ公園、ヴィラ・デ・エステなどエピソードの背景に使って、観る者の目を喜ばせている。一方、登場人物に、会話の中で、“ローマは壮大な文明が栄えたのに、今は遺跡しかない、この世に永遠なものは何もない“と虚無感を言わせていて、いつも何処かに
冷めた目線を漂わせていて心憎い。
(☆☆☆・☆)
(平成25年7月7日)
by masakuzu
| 2013-07-09 10:46
| ヨーロッパ合作