2008年 12月 22日
その木戸を通って{Fusa} |
1993年/日本映画 原作:山本周五郎 監督:市川崑
主演:中井貴一、浅野ゆう子、フランキー堺、井川比佐志
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今の日本映画界は、それが “芸術作品” であると言う理由だけでは、世間に公開する気にならない環境にあるらしい。時代が商業主義とか視聴率本位と言ってしまえば、味気ない話になってしまうが、これでは衆愚になって行く病んだ民主主義そのもののような気がしてならない。見向きもされず流れてしまう芸術作品を見るにつけ、いつの間にか流行商品と同じレベルに追いやられている映画興行の現状は誠に嘆かわしい。今のマスコミの低調と広告会社の特権意識にグローバリズムが作用して、価値を秘めた映像文化を、感動を求める人々から遠ざけている。
この変革の時代に、新しい価値観や美意識で興行分野に一石を投じて欲しいものである。
「その木戸を通って」を見ながら、こんな秀作が出来上がってからなんと15年間もお蔵入りしていた不条理に只々あきれ返るばかりである。渾身の思いで製作した市川崑は既に亡くなっている。このような環境だと、恐らく外国映画も商業主義で選択されているため、良質なものでも我々の眼に触れられぬ逸品が沢山あるに違いない。
本作の原作は山本周五郎の短篇小説である。江戸時代のある藩を舞台にした時代劇だが、斬った張った立ち回りなどなく地味な武家屋敷に謎めいた記憶喪失の娘が訪ねてくる、かぐや姫伝説に似た不思議な物語で山本作品の中でも異色なものである。
市川監督が15年前、フジテレビのハイビジョン用ドラマとして撮ったもので、ヴェネチア映画祭など外国で上映されたものである。ハイビジョン技術の試作的でもあったらしい。
ヴェネチアで外国人達はこの深い日本美を如何受けとめたか伺いたいものである。
実に之は、飛び切りの逸品である。武家屋敷で起こる現実と非現実の狭間を幻想的にリリシズムの溢れた映像美で構成され、市川監督の斬新な発想や、カメラワークは見事に結実している。
物語として、FUSA(ふさ)は記憶喪失の女性であるが、別の世界からの人間のようでもあり、この家の主人正四郎の妻になり、子供も生まれて幸せな家庭が出来たのに、ある日、憑かれたように、木戸を通って、竹藪の向こうに消えてゆく話である
城勤めの勘定方平四郎(中井貴一)の日常とそこに現れたふさ(浅野ゆう子)との心の通い、
下男夫婦(井川比佐志、岸田今日子)の素朴な優しさ、の表現とその場面構成である武家屋敷の佇まいの描き方が陰影のある日本美を湛えていて、小林古径や前田青邨の絵を髣髴させる。
屋敷を巡る築地の白さ、木の葉から滴る一滴の雫、紫に煙る雨、竹やぶの緑、屋敷内のほの暗い陰影などの描写がこの不思議な物語を許容する裏付けになっている
市川監督は70本以上の作品の内、古くは「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」近くは「どら平太」と名作を残しており若い時はコクトーに憧れ、コン・コクトーと自ら言っていた様に日本美を上品に描きながらも、洋風手法の煌きが随所にでている珠玉作品である。
(☆☆☆☆☆)
(平成20年12月16日)
主演:中井貴一、浅野ゆう子、フランキー堺、井川比佐志
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今の日本映画界は、それが “芸術作品” であると言う理由だけでは、世間に公開する気にならない環境にあるらしい。時代が商業主義とか視聴率本位と言ってしまえば、味気ない話になってしまうが、これでは衆愚になって行く病んだ民主主義そのもののような気がしてならない。見向きもされず流れてしまう芸術作品を見るにつけ、いつの間にか流行商品と同じレベルに追いやられている映画興行の現状は誠に嘆かわしい。今のマスコミの低調と広告会社の特権意識にグローバリズムが作用して、価値を秘めた映像文化を、感動を求める人々から遠ざけている。
この変革の時代に、新しい価値観や美意識で興行分野に一石を投じて欲しいものである。
「その木戸を通って」を見ながら、こんな秀作が出来上がってからなんと15年間もお蔵入りしていた不条理に只々あきれ返るばかりである。渾身の思いで製作した市川崑は既に亡くなっている。このような環境だと、恐らく外国映画も商業主義で選択されているため、良質なものでも我々の眼に触れられぬ逸品が沢山あるに違いない。
本作の原作は山本周五郎の短篇小説である。江戸時代のある藩を舞台にした時代劇だが、斬った張った立ち回りなどなく地味な武家屋敷に謎めいた記憶喪失の娘が訪ねてくる、かぐや姫伝説に似た不思議な物語で山本作品の中でも異色なものである。
市川監督が15年前、フジテレビのハイビジョン用ドラマとして撮ったもので、ヴェネチア映画祭など外国で上映されたものである。ハイビジョン技術の試作的でもあったらしい。
ヴェネチアで外国人達はこの深い日本美を如何受けとめたか伺いたいものである。
実に之は、飛び切りの逸品である。武家屋敷で起こる現実と非現実の狭間を幻想的にリリシズムの溢れた映像美で構成され、市川監督の斬新な発想や、カメラワークは見事に結実している。
物語として、FUSA(ふさ)は記憶喪失の女性であるが、別の世界からの人間のようでもあり、この家の主人正四郎の妻になり、子供も生まれて幸せな家庭が出来たのに、ある日、憑かれたように、木戸を通って、竹藪の向こうに消えてゆく話である
城勤めの勘定方平四郎(中井貴一)の日常とそこに現れたふさ(浅野ゆう子)との心の通い、
下男夫婦(井川比佐志、岸田今日子)の素朴な優しさ、の表現とその場面構成である武家屋敷の佇まいの描き方が陰影のある日本美を湛えていて、小林古径や前田青邨の絵を髣髴させる。
屋敷を巡る築地の白さ、木の葉から滴る一滴の雫、紫に煙る雨、竹やぶの緑、屋敷内のほの暗い陰影などの描写がこの不思議な物語を許容する裏付けになっている
市川監督は70本以上の作品の内、古くは「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」近くは「どら平太」と名作を残しており若い時はコクトーに憧れ、コン・コクトーと自ら言っていた様に日本美を上品に描きながらも、洋風手法の煌きが随所にでている珠玉作品である。
(☆☆☆☆☆)
(平成20年12月16日)
by masakuzu
| 2008-12-22 18:44
| 日本