2015年 02月 09日
天井桟敷の人々 |
<名作懐古シリーズから>
1945年フランス映画原題:Les enfants du Paradis(楽園の子供たち)
監督:マルセル・カルネ、脚色:ジャック・プレベール
主演:アルレッティ、ジャン=ルイ・バロー
日本の封切:1952年 188分
受賞歴:アカデミー脚本賞、ベネティア国際映画賞など
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今日、デジタル時代の映像表現の映画は際限なく多彩に広がりを見せている。顕著な技術的進歩は表現力豊かで、今スクリーンの上は新しい映像美で溢れている。だが、この処、内外の映画が多作の割には名作が見当たらない。何故だろう。何か失ったものも多いのではないか。グローバルの世相は時に価値感をも豹変させる。評価の基準も曖昧で、いまや映画興行の世界は混迷の様相である。
昨年来身近な映画愛好家からの要望もあって、名作シリーズを一緒に見る事にした。映画の内容もそうだが、文化史的に云っても新しい発見も示唆も多い事が判る。
さて、「天井桟敷の人々」であるが、なんとこの映画は、1945に3年の月日をかけて作られている。昭和20年である。日本は、国中焼け野が原で映画どころではなく、フランスはナチスドイツの占領下であった。大半の映画監督はナチから逃れてアメリカに渡った。
ヨーロッパの国の多くは戦争を是認する映画が殆どであった。
マルセル・カルネ監督は19世紀末のパリの芝居小屋が並ぶ繁華な「犯罪大通り」を巡りそこに巻き起こる恋愛愛憎劇を絢爛と描き上げた。反戦でも反ナチでもないが、こんな時でも自由な映画が作れると云うフランスの文化力を示した渾身の大作である。
{見どころ}
マルセル・カルネ監督と脚本家のジャック・プレベールの絶妙なコンビによる名作の中でも、“詩的リアリズム”と云われた風格でボリューム感を持って人間絵巻を描き挙げている。
現代、希薄になっているロマンチシズムを纏綿と描き、激しい恋愛とそれを彩る詩心豊かな会話を19世紀の華やかな風俗描写のなかで表現している。
多彩な人物がおりなす人間模様、芝居小屋、見世物、美女、陰謀、悪党、嫉妬、焦がす恋をあくなき表現でスクリーンに描きだしている。そしてキャスト達の間を飛び交う、人生観を覗かせる粋な台詞の数々には思わず唸らされる。これはシャンソン「枯葉」の作詞者であるプレベールの水際立った名語碌でもある。
原題の“楽園”は天井桟敷のエネルギッシュな人達の住む世界、″子供たち“はそこで無邪気にのたうちまわる“美女と4人の男達”の意味でもあろうか。
ともあれ、すっかりお茶漬けの味に収まっている多くの日本人には、刺激的に響くと思うが、人間の持つ純粋な生の本性のある事を、思い起こさせるいい機会かもしれない。
{あらすじの一部}
1840年代のパリのタンブル大通りの芝居小屋のパントマイム役者バティスト(バロー)は踊り子ガランス(アルレッティ)に恋をする。同時に詩人で犯罪者のスネール、シェイクスピア劇役者ルメートル、それにモントレー伯が加わり、ひとりの美人と四人の男達の恋をストーリーの骨格として人間の生き方を描いている。
構成として、第1部「犯罪大通り」、第2部「白い男」に別れている。
第1部では、日本より都市文化が先進的に華開いているパリの芝居小屋通りの風俗を、ニースに400mに亘るロケセットを作り、1500人のエキストラを使ってその中で起こる愛憎劇を壮大に展開させている。
第2部では、5人の接点を急展開させ、生な本性むき出してまともな人間相剋図になって行くのであるが、夫々の思いや期待と異なる着地点に流れる転調のなかで、終活させている。
19世紀末の社会環境を華やかに描きながら、人間性をえぐってゆき、やや重たい結末を
熱狂的カーニバルの紙吹雪の舞う中に夢散させた見事なエンディングに拍手を送りたい。
(平成27年2月4日)
1945年フランス映画原題:Les enfants du Paradis(楽園の子供たち)
監督:マルセル・カルネ、脚色:ジャック・プレベール
主演:アルレッティ、ジャン=ルイ・バロー
日本の封切:1952年 188分
受賞歴:アカデミー脚本賞、ベネティア国際映画賞など
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今日、デジタル時代の映像表現の映画は際限なく多彩に広がりを見せている。顕著な技術的進歩は表現力豊かで、今スクリーンの上は新しい映像美で溢れている。だが、この処、内外の映画が多作の割には名作が見当たらない。何故だろう。何か失ったものも多いのではないか。グローバルの世相は時に価値感をも豹変させる。評価の基準も曖昧で、いまや映画興行の世界は混迷の様相である。
昨年来身近な映画愛好家からの要望もあって、名作シリーズを一緒に見る事にした。映画の内容もそうだが、文化史的に云っても新しい発見も示唆も多い事が判る。
さて、「天井桟敷の人々」であるが、なんとこの映画は、1945に3年の月日をかけて作られている。昭和20年である。日本は、国中焼け野が原で映画どころではなく、フランスはナチスドイツの占領下であった。大半の映画監督はナチから逃れてアメリカに渡った。
ヨーロッパの国の多くは戦争を是認する映画が殆どであった。
マルセル・カルネ監督は19世紀末のパリの芝居小屋が並ぶ繁華な「犯罪大通り」を巡りそこに巻き起こる恋愛愛憎劇を絢爛と描き上げた。反戦でも反ナチでもないが、こんな時でも自由な映画が作れると云うフランスの文化力を示した渾身の大作である。
{見どころ}
マルセル・カルネ監督と脚本家のジャック・プレベールの絶妙なコンビによる名作の中でも、“詩的リアリズム”と云われた風格でボリューム感を持って人間絵巻を描き挙げている。
現代、希薄になっているロマンチシズムを纏綿と描き、激しい恋愛とそれを彩る詩心豊かな会話を19世紀の華やかな風俗描写のなかで表現している。
多彩な人物がおりなす人間模様、芝居小屋、見世物、美女、陰謀、悪党、嫉妬、焦がす恋をあくなき表現でスクリーンに描きだしている。そしてキャスト達の間を飛び交う、人生観を覗かせる粋な台詞の数々には思わず唸らされる。これはシャンソン「枯葉」の作詞者であるプレベールの水際立った名語碌でもある。
原題の“楽園”は天井桟敷のエネルギッシュな人達の住む世界、″子供たち“はそこで無邪気にのたうちまわる“美女と4人の男達”の意味でもあろうか。
ともあれ、すっかりお茶漬けの味に収まっている多くの日本人には、刺激的に響くと思うが、人間の持つ純粋な生の本性のある事を、思い起こさせるいい機会かもしれない。
{あらすじの一部}
1840年代のパリのタンブル大通りの芝居小屋のパントマイム役者バティスト(バロー)は踊り子ガランス(アルレッティ)に恋をする。同時に詩人で犯罪者のスネール、シェイクスピア劇役者ルメートル、それにモントレー伯が加わり、ひとりの美人と四人の男達の恋をストーリーの骨格として人間の生き方を描いている。
構成として、第1部「犯罪大通り」、第2部「白い男」に別れている。
第1部では、日本より都市文化が先進的に華開いているパリの芝居小屋通りの風俗を、ニースに400mに亘るロケセットを作り、1500人のエキストラを使ってその中で起こる愛憎劇を壮大に展開させている。
第2部では、5人の接点を急展開させ、生な本性むき出してまともな人間相剋図になって行くのであるが、夫々の思いや期待と異なる着地点に流れる転調のなかで、終活させている。
19世紀末の社会環境を華やかに描きながら、人間性をえぐってゆき、やや重たい結末を
熱狂的カーニバルの紙吹雪の舞う中に夢散させた見事なエンディングに拍手を送りたい。
(平成27年2月4日)
by masakuzu
| 2015-02-09 08:02
| 名作シリーズ